習い事の送迎での一コマ。

車の中では楽しそうに話していたのに、教室の前に着いた途端、足取りが重くなる。

「今日は行きたくないな」

そんな言葉に、お父さんやお母さんが困った顔をする。

どこの家庭でも、一度はありそうな場面です。


子供に新しい世界を見せたい。

保護者であれば、誰もがそう思うのではないでしょうか。

音楽に触れてほしい。

スポーツを経験してほしい。

英語もできたら素敵だ。

そんな思いから体験会を探したり、パンフレットを見せたり、習い事の情報を集めたりすることがあります。

そして、その中で子供が

「やってみたい!」

と言う。

これはとても自然な流れです。


だから私は、

「本人がやりたいと言ったので始めました」

という言葉を聞くと、

それはきっと本当なのだろうと思います。

ただ同時に、その「やりたい」が生まれるまでには、たくさんの大人の関わりもあったのだろうなと思うのです。


子供は親が思う以上に、親のことをよく見ています。

親が楽しそうに話しているもの。

親が価値を感じているもの。

親が「いいね」と言うもの。

そうしたものに自然と興味を持ちます。

それは主体性がないからではありません。

むしろ、人が何かに興味を持つときの、ごく自然な姿です。


だから習い事が続かなくなったとき、

私は「やる気が足りない」というよりも、

「その子は何に惹かれていたのだろう」

と考えたくなります。

習い事そのものだったのか。

その先にある姿だったのか。

あるいは、親が嬉しそうにしていたことだったのか。


もちろん、親が勧めることが悪いわけではありません。

子供だけでは出会えない世界がたくさんあります。

だから大人が扉を開くことも大切です。

ただ、その扉を開いたあと、

「本人がやりたいと言ったから」

だけで整理してしまうと、見えなくなるものもあります。


続かないことには理由があります。

その理由は、子供の中にだけあるとは限りません。

もしかすると、

親子で一緒につくり上げた「やりたい」の中に、その理由が隠れていることもあるのです。


次回予告

第3回「主体性はどう育つのか」

子供の主体性を大切にしたい。

そう願う保護者の方は多いと思います。

では、主体性とは「何でも自分で決めること」なのでしょうか。

親の関わりと子供の成長、その両方を大切にしながら考えてみたいと思います。


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